昭和42年01月12日 夜の御理解



 今日は小倉の教務所に私の問題で回りに、それから年頭の御挨拶に出ておりませんでしたから、福島さん始め、秋永先生、高橋さんと、3名であちらへ行って頂きました。で私は小倉に参ります時は必ず菊正宗を、お神酒を一本まあお事付するんですが。これはあの、初代の桂先生が御在世の頃から、あの菊正がどの様なお祭りを仕えられる時でも、菊正がないとお祭りが仕えられんと言われるくらいに。
 その菊正党であらあれたという事ですね。ただ今日はあちらへ皆さんお参りしたところが、色々こう御広前の、お祭りの準備のような事があっておったんですね。そしてその明日が1月の13日。桂先生のお立ち日だというので、お祭りの準備があっておったと。本当にあのわざわざそれだから12日の日を選った訳でも何でもないのですけれども、本当に神様は様々な。
  用も用件も次々と片付きました事でございますけれども、それだけではなく、肝心要の桂先生のそうした働きをです、椛目の上に頂いておるという事が有り難いとこう私は思わせてもらったんですけれど。本当にこの力を受けられてる御霊様のお働きというものを、いかに力があってもこちらにそれが、椛目の場合もう本当に桂先生のおかげ、初代のおかげと言った様な。
 桂先生の信心をもとにしての椛目の信心であり、教導でございますけれども。そういうような私共が、私共なりに一生懸命に桂先生の御信心を、の内容を頂こうとするそういうところに、そうした働きも頂けれるのだという風に思うです。今日私午後、午後はもうこのコタツに入ってから、そのこうあの、椅子に寄りかかって、中ば寝るようにしてからコタツにこの頃入っておるんです。
 今日2時、何か2時もあったでしょうか。久保山先生が亡くなられてから2度目のお夢を頂きました。この前の、お夢は何とはなしに、御理解の中に現われた、久保山先生でしたけれども、今日はもう実際に、その働きそのものを見せてくれたと言った様な、そのお夢で御座いました。もうお夢とは思われない、もう実際ここに、今あったと言う様な感じでございましたけれど。
 私がこうやってコタツに入っておりましたら、先生がいつも先生、そばの私の右側に座るんですね、こっち側にふすま側の方に。ところが向こう側に座るんです。それであの、コタツの中にこうやって入ってきよるんです。私の足の上に自分の膝をこうのっけたようにするから、私は、足が痛いくらいに重たい。それでも、まあ私はあの、はあどうして来たっていう、それが少し亡くなられる時分よりも肥えられた、まあ本当におかげを受けられたという御霊様のいわゆる感じでございましたが。
 もう全然口は今日聞きませんでした。けれども私がそこに座っておりますもんじゃから、そこに何人でもおる人達に、あら久保山さんが来とるばい。それで皆には分からん、まあどうして分からんじゃろうかの、本当に見る目を持たんもんじゃからねアンタ達がと、言うておるところに、障子がガラっと開いてからそれで目が覚めたんです。私はもう思わず大きな声上げたんです。
 もう夢とは思わなかっ、思う、もう実際のようなもんですから。そしたらあの、久保山茂さんがあのおひげをあたりに、私がして頂くと言うてから出て参りました。今日なんか私それを思うんですね。必ず右に座っておった先生が左に座ったという事がです、言うならば、私が久保山先生て、ここは椛目中に変えて行かなきゃいけんよと私が言うておったような事がですね、この死ぬるという事によって清められた。
 例えば久保山先生の御霊がですね、もう何ち言うですかね。
 この世で、例えばおかげの受けられないものを持っておったものをスッカリこう清められたという感じですね。そんなら死ぬる事によって誰でも清められるかと言うとそうじゃないのです。先生がいつもは、はあもう私の是がいかんですもんね。ここは改めにゃいかんという事を、もういつも一生懸命取り組んでおって出来ないというような事が沢山あったんです。いわば私共が例えるなら、あのお国替えされたあの晩でもです。
 例えば椛目流に言うならばですね、あれはまだ、椅子の側におらっしゃるのです大体は。皆は残っておるとですけんね、掃除をすませた後で。けれどもいつ帰りなさったじゃ分からんようして帰っちゃった、あれが久保山先生流でしたよ。もう何時こそこそって、もうそれこそ何時帰られたろうかという風にして帰られる。ね、そう言う様な所が、アンタ椛目的じゃないなと私言うておったんですけれども。
 今日私の左の方に座られたという事は、おかげを頂いてから椛目的になりましたという事じゃろうと、こう思うた。ね、そして例えばあれだけの信心とあれだけの修行、そして今日は先生のあそこのところの、あの遺族の者にいろいろ渡す物は渡さなければならんと言うので、あの整理を若先生がまあ、2~3人でしよりました。たしかにあの、なからなければならない御理解の抜粋を沢山しておられたハズじゃが。
 それがなかったんですけども、今日出て参りましたがですね、何と十三冊も出て参りました。もうそれこそ、もう本当に御理解の宝庫とも言うて過言じゃないような素晴らしいその御理解がビッシリ書かれました物でございますね。中には、私はもう全然見たこともないような物がいくらもございましたし。またはあの、ここの当初の頃の非常にあの、奇跡的なおかげが大変現われまして。
 でその生きた神様の働きを皆がビックリするような思いで見たり聞いたりした自分の事が、一人一人のそのおかげの話がずっと収録してあるような手帳も出て、神の・・・生きた神というですね、題。生きた神という、こう題名のもとの小さい手帳にそれを書いておられるといったような物が、まあ出て参りましたんですけれども。本当に私共がもう忘れかけておる椛目のあの。
 始まりの頃のごひれいと言った様な物がそうした記録に残されておるという事がですね。まあそういう事も生前の先生の働きであるならば、その働きが徳にならんハズもなし。そして改まりたい改まりたい。どうとか磨きたい、美しゅうなりたいというその願いが、改まりが出けてなかった、磨きが出来てなかっても、死ぬるということによって、それがその大修行によって清められるおかげ。求め続けておる、願い続けてその事をいくところに私は清まる事が、死ぬることによって清まる事が出来られないか。
 そして今日私が拝ませて頂いたような、いわば音声切れ」感じの久保山先生の御霊の姿を現わされたものだという風に、また茂さんが今日ひげあたりに参りましたと言う様なのでも、やはり御霊様の一つの導きによってからの事であろうという風に感じたんです。桂先生の明日の13日のお立ち日のお祭りに、今日のここから参りました菊正宗が「   」間に合わせて頂きましたという事も、これは桂先生の御霊のお働きであるなら。
 今日の事もやはり、久保山先生の御霊の働きであった、と言った様な事を、私は感じたんです。しっかり本気でですね。改まりが出来なくても、それで良いというのじゃない、もう確かにあの、もうそこを精進し努めておられる事がよう解りましたですね、久保山先生の場合は。それでも出来ない所は出来ない、かったんですけれどもですね。けれどもそういう一生懸命なものが死ぬるという大修行によって清められておられるという感じで御座いましたね、
   どうぞ。